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福岡高等裁判所 昭和52年(ネ)493号 判決 1978年3月29日

控訴人

宗教法人一光寺

右代表者

田中文雄

右訴訟代理人

塚本冨士男

被控訴人

高橋市右衛門

外二名

右三名訴訟代理人

岩本幹生

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一、控訴人は「原判決を取消す。被控訴人らが昭和四五年一二月六日なした宗教法人浄土宗と控訴人との包括関係を廃止する旨の決議は無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは主文と同旨の判決を求めた。

二、当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、別紙(一)ないし(三)のとおり付加するほかは、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

理由

一本件記録によれば、本訴の趣旨は、控訴人である宗教法人一光寺の当時責任役員であつた被控訴人ら三名と原審相被告の長崎倭吉、同藤野孫兵衛の計五名が、昭和四五年一二月六日開催の責任役員会議においてなした宗教法人浄土宗と控訴人一光寺との包括関係を廃止する旨の決議が、その動機・目的・内容において実質的に議決権の濫用であり、法的に許容されないものであるのみならず、右決議をした会議招集等の手続についても重大な瑕疵があり、かつその後の新構成による責任役員会議において本件決議を取消す旨の決議もしているので、これが無効であることの確認を求めるというのである。

ところで、確認の訴は、訴訟制度の目的からして、単なる事実や事実状態の確認を求めることは許されず、また紛争を終局的に解決する必要から過去のものではなく、現在の法律関係の存否についての確認であることが訴訟要件として要求されている。しかし本件のごとく過去に行われた決議自体の効力の確認といつたものであつても、右決議から派生した各種の法律関係について現に紛争が発生し、右効力の有無の確定がそれらの紛争を抜本的に解決するにつき必要かつ有意義である場合には、これが確認の訴の利益ありとして認められるべきことはいうまでもない。

二しかして、本件の場合、本件決議に関連する紛争として、控訴人が請求原因(三)において主張するような住職あるいは責任役員の地位をめぐる各訴訟、その他幾つかの訴訟が、現に係属していることは弁論の全趣旨により明らかな事実であり、また右決議のもたらす法律効果の性質上、他にも各種の紛争を生ずるおそれが予測されるので、それら各種紛争の抜本的解決のために、本件決議の有効・無効が有権的に判定されることの必要性が十分に肯認できる。

そして、本件訴がこのような紛争の抜本的解決に役立つためには、その決議の有効・無効についての判定が、画一的に対世的な効力を有するものとして把握されるものでなければならない。控訴人の本訴提起の趣旨も、本件決議の有効・無効に関連する各種紛争に基づく法的地位の不安定を除くため、本件訴訟当事者のみならず、前示各訴訟の当事者、その他すべての利害関係人との間において、右決議の効力につき対世的・画一的効力を有する判決を求めているものと解すべきであり、またその限りにおいてこのような訴の利益を肯認すべきものである。

三しかし、判決の効力が広く第三者に及ぶような、いわゆる処分権主義、弁論主義の例外を認める訴については、法律上その根拠を必要とするところ、宗教法人の責任役員会議の決議については宗教法人法その他に特別の定めもなく、また他の法律を準用する規定もないが、その必要があること前示のとおりであるから、その性質上、株主総会の決議無効確認の訴に関する商法二五二条の規定を類推適用して、これを許容すべきものと解するのが相当である。

そして、かかる対世的効力を有すると認められる前記決議の無効確認訴訟の提起については商法二五二条の類推解釈からして、右宗教法人の代表役員、責任役員等その他右議決につき直接の利害関係を有する者(右決議の効力如何によつてその地位が左右される者を含む)が原告となり、右決議による意思決定の帰属主体たる宗教法人(当該法人は自己の機関の決定に当然に従わなければならない)それ自体を被告としてなされることが必要であると解する。

四そうだとすれば、宗教法人である控訴人自身は本件訴訟について原告としての当事者適格を有せず、したがつて、控訴人が原告として提起した本件決議無効確認の訴は、たまたま決議の当時責任役員であつて右決議に参加した被控訴人ら五名を被告とし、そのうち死亡者を除外して現在三名に対し訴訟を追行していることの適否を問題とするまでもなく、その点においてすでに不適法として却下を免れない。

そこで、控訴人の本件訴を不適法として却下した原判決は結論において相当であり、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(原政俊 権藤義臣 松尾俊一)

別紙(一)  控訴人の主張(一)

一、原判決は、宗教法人である寺院の責任役員が決議をすれば、決議事項の何たるを問わず、すべてその決議によつて宗教法人の意思が決定され、右決議の効力が無効であることが確定されるまでは右宗教法人は自己の意思決定である右決議に当然に従うべきであるとの見解を採用しているもののごとくである。もしも然りとすれば、右見解は宗教法人法に規定された責任役員の制度を全く理解していないものである。

二、もともと宗教法人は、一個の組織体として法人としての性質と宗教団体としての性質をもつているものであるが、(学者によつては前者を世俗性または世間性、後者を宗教性または出世間性などと呼んでいる。井上恵行氏著「宗教法人法の基礎的研究」第三五七頁以下)

宗教法人法が規定の対象としているのは前者に関する事項のみであつて、後者に関する事項については宗教団体自身の自律性に一任されている。さればこそ同法中には従前の宗教法令とは全く趣きを異にして、住職や檀徒などについては全く規定されていない。

このことは新憲法の信教の自由の原則に従つて制定された宗教法人法の立法の経過よりして明白であり学説も一致しているところである。

責任役員の制度は宗教法人法によつて制定された宗教法人のただ一つの意思決定機関であるが、前記の宗教法人法の規定の対象からすれば、責任役員の職務権限は当然世俗的事項に限定されておるわけで、同法第一八条第四項には「責任役員は、規則で定めるところにより、宗教法人の事務を決定する」と規定されているが、その事務とは世俗的事項に関する事務のみである。

具体的には礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他宗教法人の目的達成のための業務および事業を運営するうえにおける一切の行為である。その中には宗教上の事項に関する事務は含まれていないことが明白である。(以上については文化庁文化部宗務課宗教法人法令研究室編集「宗教法人関係質疑応答集」第六〇六頁以下、大宮荘策氏著「宗教法の研究」第八二九頁、長谷山正観氏著「改正宗教法人法講義」第二九頁参照)

宗教法人法第一八条第六項に「代表役員及び責任役員の宗教法人の事務に関する権限は、当該役員の宗教上の機能に対するいかなる支配権その他の権限も含むものでない」と規定されているのは以上の趣旨を裏付けているものと解される。

右に述べた宗教法人の本質的な性格は他の法人に類例をみない特異なものであるが、決して看過さるべきものではない。

三、包括関係の廃止という問題は、前段に述べた世俗的事項か、または宗教上の事項か。宗教法人たる寺院がいかなる宗派に属するかによつて当然その教義、宗教活動に種々の差異を生ずることであり、当該寺院およびその檀信徒の信仰の根本に重大な影響を及ぼすことが必然であるから(ジユリスト宗教判例百選第二八、二九頁参照)包括関係の廃止の問題は宗教上の事項に属することは明白である。

宗教法人法中には包括関係の廃止について種々規定されているから、同法の規定の対象は世俗的事項に限定されているとの前記の見解からすれば、一見包括関係の廃止に関する事項は世俗的事項であるとの反論が生ずるであろう。しかし宗教法人法中の包括関係の廃止に関する規定は、信仰の自由の立場から、ことの重大であることに鑑み包括関係の廃止の自由を確保するためのもの(例えば第二六条第一項、第七八条)か、廃止についての手続規定(例えば第二六条第二項第三項第二七条)であつて、包括関係の廃止が宗教上の事項であるとの本来的な性格に変更を来たすものではない。

もし仮に包括関係の廃止に関する事項が宗教法人法第一二条第一三号所定の関連事項として宗教法人の規則中に規定されている事例があるとすれば、その場合には、包括関係の廃止に関する事項が世俗的事項となり、宗教法人の事務に属することとなり責任役員の職務権限に属することになるのではないかとの一応の疑問が生ずる。

しかしながら控訴人の寺院規則中にもその包括団体である浄土宗の規則中にも包括関係の廃止については何等規定されていないから、控訴人にとつては右の疑問は何等の影響を及ぼすものではない。

四、昭和四五年一二月六日、当時の控訴人一光寺の責任役員七名のうち被控訴人三名外二名は、控訴人と宗教法人浄土宗との包括関係を廃止する旨の決議をした。しかしながら以上に詳述したところによれば、右決議は責任役員の職務権限に属しない事項に関する決議であつて、当然無効のものというべきである。従つて原判決がいうように控訴人の意思決定機関である責任役員が決定したものであるから、右決議の効力が無効であることが確定されるまでは、決議による自己の意思決定として当然従うべきであるというような筋合のものではない。かかる当然無効の決議により、控訴人と浄土宗との間に存在する包括関係に何等の消長をも来たす筈はない。控訴人一光寺と被控訴人らとの間には何らの実質的紛争がないどころではなく、両者間にこそ実質的紛争があるわけである。

五、かくみるときは、宗教法人である控訴人とその責任役員である被控訴人とは利益相反し、控訴人とその代表役員である田中文雄とは利益相反しないというべきである。代表役員は本来は意思決定機関である責任役員の決定を実行する権限を有するにとどまり、事務を専決し、執行する権限を有しないが、それは寺院の運営が通常の状態にある場合のことで、法人の役員中に法人と利益相反するものと利益相反しないものとが存在し、しかも本件のように責任役員七名のうち五名が法人と利益相反するような異状な状態にある場合、宗教法人法第一八条第三項により本来宗教法人の代表権および事務総理権を有する代表役員において法人を代表して、ことを処理しうるものと解されるから、本訴の提起はその当時被控訴人らを含む責任役員の決議を経ていないが適法なものと思料する。

もし仮に右主張が理由がないとしても、被控訴人らが任期満了により責任役員の資格を喪失した後、適法に選任された責任役員において昭和五二年二月一九日本訴提起が追認されたことは、従来主張したところである。

控訴人と宗教法人浄土宗との包括関係が廃止されるときは、「この法人は、……浄土宗祖法然上人の立教開宗の精神を体し、浄土宗宗綱に掲げる教旨をひろめ……」と規定する一光寺規則第三条、「この法人の包括団体は、宗教法人「浄土宗」とする。」と規定する同第四条、「代表役員は、宗派の規定によつて浄土門主の認証をうけた住職をもつて充てる」と規定する同第七条一項などは当然変更されることとなり、控訴人はささやかな単立寺院となり、右包括関係の継続を熱望する多類の檀信徒の意思は踏みにじられる結果を招来すること必然であるから、控訴人はかかる事態の発生を防止するという正当な利益を有するものとして右包括関係廃止の決議の無効なることを主張し続け、右決議は有効に成立したと強張し、原判決摘示のように順次紛争を惹起する被控訴人らに対しては何時にても該決議の無効確認を訴求しうるものと思料する。控訴人としては、右以外に必要かつ適切な方法がないからである。

六、仮に控訴人の右主張が理由がなく、被控訴人らが責任役員の職務権限外である包括関係の廃止について決議をしても当然無効で、何等法律的効果を発生するものでないから、かかる決議の無効確認を求めても確認の利益なしとして却下さるべきであるとの判断であれば控訴人としても首肯すべきであるやもしれないが、原判決のいうような「法人としては右決議の効力が無効であることが確定されるまでは決議による自己の意思決定に当然に従うべきであり、これと矛盾するこの効力を争う訴の提起はなし得ず」、「原告法人と被告ら責任役員会には何らの実質的紛争は存在しない」などとの見解は到底承服しえないところである。

七、なお附言すべきことは、原判決中その理由二の(一)の認定の不当であることである。殊に「従前御布施等は檀信徒が自然的志による寄進という方法によつていたのに、右住職田中は御布施、戒名代、御膳料を金額を明示して檀信徒に要求するに及び、その金額も従前の慣行に反する不合理なものであること、寺院会計等についての一部不明朗があることなどについて苦情非難を受けるところとなり、田中文雄においてこれを自ら改める旨の誓約書を被告らに提出したりしたが、」などの点については控訴人において強く否認して争つていたところであるが、この点に関する控訴人の証拠申請を殆んど無視して審理を打切り、前記認定に及んだことは、著しい審理不尽であり、偏頗な処置であろう。

原判決の最終結論である「本件決議無効確認の訴は当事者適格のない者を原告、被告とした不適法なものであり、その余の点につき判断するまでもなく却下すべきもの」であるならば、何故十分な証拠調を尽さないまま殊更に控訴人に不利益な以上の認定に及んだのか理解に苦しむところである。

八、控訴人としては原審における主張を一応維持するが本準備書面による主張を第一次的なものとして追加する。

別紙(二) 控訴人の主張(二)

昭和五二年九月二七日付準備書面記載の控訴代理人の主張が仮に理由なしとすれば以下の主張を追加する。

一、およそ宗教法人の責任役員会の招集権者については宗教法人法は何らの規定を設けていないし、一光寺の寺院規則もその点については全く規定していない。かかる場合には宗教法人法第一八条によつて代表権、事務総理権等が認められている代表役員のみが招集権を有していると解すべきである。(前記準備書面に掲記した質疑応答集六一七頁参照)

二、しかるに本件責任役員会は招集権者である代表役員田中文雄が招集したものではなく、責任役員であつた被控訴人三名外二名の五名が会合して多数をたのみ話合つた結果を決議と称しているに過ぎない。

三、招集権者の招集によらない責任役員会は招集手続に瑕疵があるという以上に、責任役員会自体が成立せず従つてその決議は法律上責任役員会の決議としての効力を有しないこと勿論で、当然無効であるからその無効を主張するに付正当の利益を有する者は何時にてもその無効の確認を訴求し得るものと解すべきである。

四、昭和九年九月一〇日の大審院判決は招集権のない者が招集した席上で親族会員がした決議について、右会合は親族会として成立せず、その決議は親族会の決議なりと言うを得ず当然無効で、その無効を主張するに付正当の利益を有する者は何時にても無効の確認を訴求し得るとの判断を示している。(民集第一三巻、一六四三頁)勿論右は本件と事案を異にするが、本件にも右と同じ論理が適用されると思料する。

五、控訴人が本件決議の無効を主張するにつき正当の利益を有する者であることは前記準備書面中の五の後段「控訴人と宗教法人浄土宗との包括関係が廃止されるときは」以下の記載と同一であるから該記載をここに引用する。

六、かくて前記決議の無効確認を求める訴訟において被告として適格を有するものは何人かの問題が残るが責任役員会は適法に成立し有効に決議が成立したと強弁し、該決議の成立を前提として一光寺の寺院規則の改正、代表役員田中文雄の住職解任、花田徹水の住職就任などを責任役員会の名において決議し、順次紛争を惹起する被控訴人ら五名(うち二名は死亡)を被告とする以外に必要かつ適切な方法がないと思料する。

右見解が理由がなく他に被告として適格を有する者が存在するとすれば、その趣旨において本訴は却下さるべきであり、原判決の却下理由は全く承服できない。

別紙(三) 被控訴人らの主張

一、控訴人は、原判決に対して「決議事項の何たるを問わず、すべてその決議によつて云々」第一項と批難しているが、必ずしも右のような見解に立脚しているものではない。

二、宗教法人が、一個の組織体と宗教団体との性質をもつていることは認めるも、宗教団体自身の件について、宗教団体の性質のみに依拠しているものではなく、従つて、住職や檀徒について全く規定がなされていないのではなく慣習等にも任されている。

責任役員の制度は、宗教法人法によつて制定されたことは認めるが、宗教法人のただ一つの意思決定機関ではない。因みに、総代会檀徒総会においてもその意思決定ができることは否定出来ない。

宗教法人・法の規定の対象から、責任役員の職務権限は、当然世俗的事項に限定されるべきものではない。宗教法人法第一八条第四項の事務は世俗的事項に関する事務のみではない。

その事務が、控訴人主張の事務も含まれるが、宗教上の事項が排斥されることではない。

宗教法人法第一八条第六項に謂う「宗教上の機能に対する支配権」は、控訴人主張のようなものではなく、右支配権は、宗教の自由そのものに関することである。

三、包括関係の廃止の問題は、宗教上の事項に関することではない。蓋し、宗教法人がいかなる寺院に属するとか、いかなる宗教に属するかということではなく、本件被包括関係廃止は、「宗教法人浄土宗」という団体から離脱することであつて、控訴人主張のように、いかなる寺院に属するとか、いかなる宗派に属するかという事柄ではないからである。

四、従つて、被控訴人外二名計五名が被包括関係を廃止する決議をしたことは、何ら無効の理由を見出すことができない。よつて、原判決の事実認定は、誤つているとは言えない。また、右決議について、控訴人宗教法人一光寺という団体と被控訴人らとの間には何ら実質的紛争はない。

五、従つて、控訴人たる宗教団体と被控訴人らは、利益相反することはないから、控訴人たる団体の役員の決定機関の意思に従つて、その決議を履行する義務があるというべきである。

被控訴人らの責任役員の任期は満了していない。蓋し、一光寺における責任役員の手続を踏まえていなく、宗教法人一光寺の代表役員田中文雄は解任されているからである。

控訴人の主張は要するに田中文雄が代表役員と潜称しているにすぎず、その無効を主張しているのは、同人自身のみである。

六、よつて、原判決は、何ら非難すべき点はない。

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